いまでも伝説となる東急(東映)フライヤーズ時代

セネターズは苦しすぎる財政難のため、東急に身売りします。そうして生まれたのが「東急フライヤーズ」です。パ・リーグに参加するものの、しばらくBクラスに低迷するほど弱かった。しかしその荒っぽいプレースタイルから「駒沢の暴れん坊」と呼ばれ、一部のマニアックなファンからは注目されるようになってきたのです。東急は東映に球団運営を委託し、チーム名も「東映フライヤーズ」に変更になりました。この頃から、いまでも伝説となるような選手がチラホラ入団してくるようになります。

チーム初のAクラスから優勝争いへ

1959年、あのレジェンドが入団してきます。そうです、「おやめなさい」発言で一躍時の人となったあの「張本勲」です。張本はこの年新人王になり、チームを初のAクラスへ引き上げる活躍をしたのです。ほかにも前巨人の水原茂が監督就任したり土橋正幸と尾崎行雄など両エースの活躍などで初のリーグ優勝、初の日本一になったのです。しかしその後、本業の映画が苦しくなり不動断崖者の日拓ホームに身売りし、「日拓ホームフライヤーズ」となったがわずか1年で日本ハムに身売りすることになったのです。